1回目と2回目を終えて。写真とサイエンス −視野を拡張するビジュアル表現−

現在、IMA CONCEPT STOREにて、連続企画をやらせてもらってます。
写真とサイエンス −視野を拡張するビジュアル表現−

2回目を昨日終えて、1回目の感想もからめてダラ

っとFBに書いたものを、こちらにも転送。






昨日の「写真とサイエンス −視野を拡張するビジュアル表現−」、ご来場者のみなさま、田尾くん、高木さん、ありがとうございました!
もう5年前になるでしょうか。まだ僕らが大学院生だった頃に、ミトコンドリアが移動する様子を捉えた田尾くんの実験動画を観て感動して、いつかこの映像を色んな人に見てもらいたいなぁと思っていたのが、昨日やっと実現しました。新しいバージョンの動画も持ってきてくれて大感謝!
田尾くんは今年のノーベル賞の話も含む顕微鏡の歴史からプレゼンしてくれました。顕微鏡画像の処理・重ね合わせの話から、高木さんの作品のレイヤーの重ね方(girlsなど)の話にも広がりました。
一番最初のカハールのスケッチの話の時点で高木さんが「ありのままに撮るとは、どういうことか(可能なのか?)」という旨をおっしゃり、冒頭から科学者としても突き刺さるものがありました。
「みえないものを可視化する」話として始まったわけですが、そもそも「何を撮るか?」、「観たいものだけ観ていて全体を知ることができるのか」などという話まで色々広がり、科学論もしくは科学観の話に達した感があります。
「みたいものに特化してるんね〜」的なことを高木さんが仰りましたが、「特化することで捨象されるもの」や「一つの視点からしか観察していないこと」に自覚的でありたいなぁという想いを更に強めました。
日々の実験で何か活動している神経をみつけると、そこに自分が観ている現象の因果がありそうだと喜んでしまうものですが、「口パクしてるだけかもしてない(みたい現象の偽陽性)」とか「FB上でのよわーい情報の蓄積が自分に与える影響(ノイズとみなされているものの影響)」とか、高木さん流のメタファーを交えた質問が、田尾くんのことも内心唸らせていたみたいです。僕も会場でうなってましたw

これは、第一回でMitakaで表現される宇宙像に対して疑問を投げかけた小阪さんの問いにも通じるものを感じました。いつも小阪さんにも唸らされます。
ひなさんが見せてくれた宇宙の画像も田尾くんの画像も、とても素晴らしいもので、データとしても純粋な印象としても感激してしまうのですが、
それに対して疑問を投げかけられた時、「科学"業界"の既存のフォーマットに安住して、存在し得る他の可能性に目を向けられなくなってるかもなぁ」と思うのです。
目的やアウトプットのカタチは違えど、「世界」から抽出した素材を、一旦還元論的にいくつかのレイヤーに分解して、それをもう一度統合しようとする行為は、科学にしても小阪さんや高木さんのやり方にしても共通点があるなぁと。いわば、みんなデータを扱ってるわけで。
さてさて、普段は生物学研究をしていて、即物的にものごとを解析するのが仕事ですので、宇宙のスケールも僕には理解するのがなかなか大変です。それでも写真があるので理解できる部分も多いのですが、
しかし、次回のテーマは次元。写真的なイメージで全く捉えられないので、いつも理解に苦しむのですが、その数学的解析の行為みたいなものを、可視化しちゃう話の回です。

次回は10/29(水)です!引き続きよろしくどうぞ!!
第3回 超次元編「11次元空間は可視化できるか?」ゲスト: 橋本幸士 (物理学者)、 山口崇司 (映像作家/d.v.d)、 鳴川肇 (建築家)

学問をする

研究をしていると、自分が見つけられるコトがちっぽけすぎて、とても虚しくなる。また、最近では、俗物的な対人関係や上下関係、政治力学、事務手続きなど、虚しさに輪をかけることが非常に多いのではなかろうか(昔のことなど、私が知るわけはないが...)。なんというか、俗っぽい。
そこで、森博嗣封印再度』の犀川助教授の思索より。

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手を出さない子供にお菓子を与えることができないように、教育を受けるという動詞はあっても、教育するという概念は単独では存在しえないのである。それに、教育には水が流れるような上下関係がある。しかし、学問にはそれがない。学問にあるのは、高さではない。到達できない、極めることのできない、寂しさの無限の広がりのようなものが、ただあるだけだ。学問には、教育という不躾な言葉とはまるで無関係な静寂さが必要であり、障害物のない広い見通しが不可欠なのである。小学校、中学校と同じように、大学と呼ばない理由は、そのためであろう。大学とは、教育を受けるのではなく、学問をするところではなかったのか?

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寂しさの無限の広がりは、感じる。しかし、静寂さと、広い見通しは、果たして、今のアカデミアにあるのだろうか。

SYNODOSで連載始まりました

SYNAPSE Lab. とSYNODOSさんのコラボ連載企画がスタートしました。
不定期ですが、論考的なものとイベントの文字起こし、インタビュー記事が中心になると思います。最後に、それらを一つに束ねるような論考か、イベントをしたいと思いっています。
http://synodos.jp/authorcategory/synapseproject

『すべてがGに見える』

打ち合わせから帰宅すると、菅野はすぐさま、コンタクトを外すために洗面台に向かう。洗面台の背後にある浴室のドアは、朝、家を出るとき、開けておいた。浴室のドアは折りたたみ式で、樹脂素材ではあるが磨り硝子状に半透明になっている。その折り畳まれたドアに、コオロギのような影がある。


「そんなバカな...」


そんな風情のあるものがこの部屋にいるわけがない。第一、季節が違う。その影の正体を、菅野は分かってる。しかし、その影の主を、その種を、菅野はこの部屋で一度も見たことがなかった。その正体が分かっているにも関わらず、菅野は自分が意外にも驚いていないと感じた。菅野は、正解していると分かりきっている問題の回答が記載されているをページをめくるかのように、折り畳まれたドアの、磨りガラスと磨りガラスの間を落ち着いて、開く。


Gだ。


Gは、V字状に折り畳まれたドアの間を素早く下り、浴室へと逃げ込む。菅野は、そうすると数年前から決めていたかのように、浴室のドアをゆっくりと閉める。ここ最近の菅野は、泰然自若がモットーだった。それを体現出来ている自分の余裕に、少し満足だった。
中断していた作業を何食わぬ顔で再開し、シャツを脱いだ。そのシャツを洗濯籠に入れる。そのとき初めて、菅野は焦った。


「風呂に入れないではないか...」


この家に、G対策はなにもなされていない。
とりあえず、SNSにGが出没したことを書き込む。知り合いの研究者が「ミントミント」とメンションをよこす。Gはミントが苦手らしい。しかし、当然、菅野の家にミントはぬぁい。
何かがこすれる音がして、ビクりとして後ろを振り返る。エアコンの風で、カーテンがこすれただけだった。


「すべてがGに聴こえる」


一度そう思うと、部屋にある、暗い色の小さな物体がすべて、Gに見えるようだった。

「すべては幻想だ。元を叩くしかない」

菅野は部屋に積まれたJapan Timesを一部引き抜き、丸めた。学生の頃に語学の授業の教材として毎週買っていたものが、意味もなく残されていた。もう片方の手に、床に置いてある殺虫剤を持った。
「殺虫剤が効くだろうか。しかし、これでやるしかない」

菅野は再び浴室に赴く。扉を開けた瞬間に、ヤツが出てくることに警戒しながら、そっとドアを開ける。


Gだ!!


即座に殺虫剤を噴霧する。が、やはり効かない。その時菅野は気付いた。自分が手にしているものが、殺虫剤ではなく「あみ戸に虫こない」であるということに。一旦ドアを閉め、居間にもどり、今度は確かにアースジェットを手にする。左手には、英字新聞を握りしめている。再びドアをあける。Gは、中枢神経に異常をきたしている様子がまるでない。壁際のGに向けて、今度こそ殺虫剤を吹きかける。やはり中枢異常は観察されないが、Gは壁と湯船との間の隙間に向かって逃げていく。その隙間に向け、数秒間、菅野は殺虫剤を噴霧し続けた。



しばらくしても、Gが再び姿を見せることはなかった。湯船は、浴室にすっぽりと塡まっているため、壁の隙間は3面ある。そのすべての隙間に対し、すべての可能な確度から、菅野はシャワーでお湯をかけた。

数十分しても、Gは姿を見せない。壁との隙間に流れたお湯、および風呂桶のお湯は、すべて一つの排水溝に集約されるようになっている。もし、Gが死んだのであれば、そこに流れ出てくる筈だ。しかし、その姿はない。隙を突かれドアから逃げられたとも考えられない。菅野は、その防衛戦に関しては自信があった。

「とりあえず、風呂に入るしかない...」

その日は、中目黒で急な雨にふられたこともあり、早く風呂に入りたかった。念入りに、隙間と言う隙間に再度お湯を流し、湯船にお湯をためる。
全裸で襲われるのはさすがに恐い、と思いながらも、菅野は浴室に入った。誰が見ているわけでもないのに、平静を装いながら、湯につかる。しかし、落ち着かない自分に、自覚的にならざるを得ない。
菅野はそそくさと髪を洗った。新築で住み始めたとは言え、この家にも10年か。掃除や手入れを怠っている部分もある。その10年の綻びが、現れたのだろう。
「まるで俺の人生のようだ」
そう、思った。


目を瞑り、シャンプーを流した。
目を開けた次の瞬間、辺り一面が真っ黒に、つまり、自分がGに埋め尽くされていたら、どうしようかと思った。恐る恐る目を開ける。もちろん、そんなことにはなっていない。
いったい、Gはどこへ消えたのか。
ここはまるで、「湿った密室と生物学者」ではないか。
そう、思った。


浴室から出て、髪を乾かし、ぼんやり煙草を吸いながらウィスキーを一杯飲んだ。

PCに向かい、狼狽していることを気付かれないように、文面を2、3度チェックをしてから、学術集会関連のメールをT北大の某教授に1通返す。先方からの返事はとても好意的だった。御陰で会の運営は何とかなりそうに思えた。また、某研究所の研究員からも返事が届く。こちらも好意的で安堵した。


もう一度、浴室のドアを開けてみる。

やはりそこに、Gはいない。



SNSで、母からメンションが届く。
「あらまぁ!出たのね。(>_<)」


そんな顔文字の気分ではなかった。


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「研究不正再発防止のための提言書」の公表

「研究不正再発防止のための提言書」の公表について | 理化学研究所
http://www.riken.jp/pr/topics/2014/20140612_2/


News見て、「解体」がセンセーショナルで、突っ走り気味では?と思ったけど、全部読んでみると、真摯な内容も多かったように思う。

解体は無理だと思うんだけど、ようするに、管理者を総入れ替えしてガチでCDBを、理研を立て直せってのを強く言いたかったってことかなぁ。
解体についても「有期職員・研究員の雇用を確保した上で次の組織に移行」という現実を見た提言になってるとは思った。

不作為と自覚の欠如ということで、竹市先生も結構厳しく追求されている。
僕は、研究・論文の責任というのは研究者とラボが持つべきものだし、実際の生命科学の論文は出版時点で普通そうなっているのだから、研究所や学部レベルの組織の長が問われるべきことではないのではないかなぁと思う。
思うが、オボさんの採用プロセス含めてという一連の責任となると、ことここに至っては仕方ないか。

責任は、ラボ単位(総責任者はPI)で行うべきだと思うけど、薬品管理や廃棄など、不正以外にも研究機関が守るべきコンプライアンスをちゃんと果たそうと思うと、ラボ単位ではなく研究所単位での仕組みが必要なので、その点では、上の方が意欲を見せないといけないというのは、確か。
担当理事や定年制の担当職員が足りないというしてきも、色んな大学を含め、専門性のある職員不足は深刻な、構造的な問題だと思うので、良い指摘に思う。

この提言書で良いなぁと思ったのは、
「規制の強化と現場でのタスクの増加に終わるのではなく、研究現場の活力を損なうことのない合理的な対策であることが必要」
「研究者にとって、たんなる規制の強化とタスクの増加となるのではなく、「一定の手順に沿って普通に研究を進めていれば、とくに意識せずとも望ましいデータ管理の条件が満たされている」というような仕組みを構築することが重要である。」
という、研究現場のことも考えてくれてることで、このことは他の機関でも是非推進して頂きたいと。

締めくくりが、朝永振一郎で、単に潰しにかかっているわけではなく、あくまで日本を引っ張っていく理研の「立て直し」を志向する提言書なのだろうなぁと、思いました。
じゃないと、困るのですが。
実際、どうなのかは、関係者に聴いてみないと、わからんだろうなぁ。



結びの文章はコレ

      • -

研究不正行為は科学者コミュニティの自律的な行動により解明され解決される、という社会の信頼の上に、科学者の自由は保障されるものである。自由な発想が許される科学者(研究者)の楽園(*1)を構築すべく、理研が日本のリーダーとして範を示すことが期待される。

8時間睡眠のウソ。

『8時間睡眠のウソ。』読了。

8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識

8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識


内田麻理香さんもお勧めしてて、読んでみました。

確かに良かった。睡眠学の最近の知見が面白いというか、一般的に常識になってることがもはや間違えが多くて、重大な誤解を社会に生んでいることも分かり、知識がアップデート出来る。

無理と分かりながらもハウツーに挑戦するのにも、ある種の誠実さを感じた。そう、著者らになんか愛がある。
無理というのは、例えば、現在でも各個人がどれくらいの睡眠時間が必要か、ということはなかなか分からない、などの問題があるから、素朴なニーズに応え辛い、ということ。

それでも、著者の三島先生のラボでは、個々人の体内時計を時計遺伝子を指標に計る技術も研究中で、近い将来が非常に楽しみ。


時計遺伝子は、ちょー簡単に話すと、自分の遺伝子産物が増えると、産物が増えることをその産物自身が抑えにかかる遺伝子で(いくつか有名なのがあります)それ故、増えては減り増えては減り、というサイクルを刻む遺伝子達です。分子生物学的に非常に面白いです。司令塔は脳の視床下部・視交叉上核なんですが、時計遺伝子は各臓器の細胞にもあって、それぞれの部位の時計遺伝子が「時刻」を刻んでいるんだけど、視交叉上核がマスター・クロックになって、体全体としての時間を同期させているような感じです。

ちょっと脱線したけど、必要な睡眠時間は個人でも年齢でも違いがあること、不眠症状のタイプにもいろいろあることが詳しく書かれていて、8時間睡眠にこだわらなくていいんだよ、という感じが一つの目玉。読みながら自分の本当のニーズに自分が気付いてあげられるような構成になってます。


未解明な部分も多いとは言え、ちゃんとしたエビデンスに基づいてるし、図も出てくるし、紹介されてるデータの規模(被験者数)もデカイいので、ちゃんとした科学本。だけど読みやすくて素晴らしいと思いました。


現代科学で解明出来てない部分が多いと、普通なら物足りなく感じたり、もしくは、煙に巻かれたように納得させるような本もあるとおもうけれど、そこは、作家の腕や直感、「一般人的」感想や実体験でちゃんと補っていたり、なにより、未解明のことがあっても、診察をしなければいけないお医者さんが共同著者なだけあって、ふだん臨床で一人一人の患者さんに向き合ってる姿勢が、そのまま読者にも伝わるので、納得しながら読めるというか、煙に巻かれてない感じがして、好感が持てました。実際、治療効果が高い方法もいっぱい分かっているようです。

三島先生の語り口、とても安心感があるいいお医者さんな感じ。川端さんの書き方・構成が、導入から本論に至る過程でいい感じで復習出来る様になってて、理解が深まりやすい。

結局、自分が昼間辛いかどうかが最大の問題で、脳波が奇麗でも本人は睡眠に満足していないなど、主観にゆだねざるを得ない反面、自分と相談しながら解決していく問題なんだなーと。

あと、夜の睡眠のためには昼の過ごし方が大事とか、寝付けないなら眠くなるまで寝なくていいんだよ、とか、なんか温かい感じのことが、エビデンスとともに示されてて、読み終わってなんだか安心する本でした。


あと、本でも紹介されてるこちらのサイトで、色々と簡易的に診断もしてくれます。
http://www.sleepmed.jp/q/meq/

僕の夜型人間偏差値は、めちゃくちゃ高かったですw 案の定。