世界との接点とも言える色の情報は、どちらも確かに残されてはいるようだ

話題になった「ドレスが白金に見えるか、青黒に見えるか」問題は、僕には結構重要な問題だった。
色は、僕にとって非常に大事な、世界との接点だからだ。


ことの次第がよくまとまっているかなぁと思える記事はこちら。リンクも豊富。
http://www.softantenna.com/wp/unknown/dress-color/

SNSで知人の反応をみてみると、「白金に見える人」と「青黒に見える人」の両方が、それぞれ結構な割合でいるようだ。はじめはどちらかに見えていたけど後で見たら別の色にも見えた、という人も多い印象。
ちなみに、僕にはどうあがいても白金にしか見えていない。
色調情報としては、薄い青というか、うすい紫に分類されるであろうとは理解しているが、経験的には光沢のある白いシルクのようなものに影かかったときの見え方のように思う(と僕の脳が処理しているのか)。

このようなことがなぜ起きるのか、その認知科学的考察としてはこちらが丁寧で分かりやすく面白かった。
なぜドレスの色の錯覚はおきたか?-色の恒常性-

上記考察にも載っているが、AとBの色が実は同じ、という色の恒常性を示す有名なこの絵は、何度見ても面白い。

この考察でも示されているように「ドレスと光源の位置関係をどのように認識しているか」がこの色の認知問題のポイントだということで、ドレスの部分だけを自分でトリミングした画像を見てみたのだが、どうも、白金にしか見えない。色調を冷静に判断しても「薄い紫と黄土色」が良いところだろう。。。
経験上、色の認識の錯視問題は、周辺情報を切り落とすと納得が出来る(例えば、上記のタイルと柱の絵でAとBの色が同じであると感じる)のだが、どうも、このドレスの問題は納得出来ない。どうして、青黒に見える人がいるのだろう。。。

web上のツールで、トリミングした画像を解析した結果がこちら。


やはり「薄い紫と黄土色」である。
しかし、友人はtwitter上で僕が紫と言うこの色を「青だ」というので、この時点で既に個人差があるのかもしれない。

僕は色の心理学的・認知神経科学的理論については詳しくないのだが、日頃、色は意識しているつもりで、エクセルなんかにデータを打ち込むときもカテゴリごとに色分けしたりしているので、毎日カラーパレットを何度も見てる。ので、やはり、紫系に思う。今、カラーパレットで色を確かめてみてもなお... 。 顕微鏡も頻繁に使うので波長のことも普段から考えているし。
むかしやってみたこちらのテストでもかなり成績がよかったので、僕の色の弁別域があいまい、ということはないように思う。寧ろ、良い方だろう。暖色系の弁別は少し弱いように思う。

Online Color Challenge


昔、母とした口論を思い出した。
母に「そこの黄色い湯呑みとって」と言われ「そんなものは無いが」と答え、「そこにあれでしょう!それ!!」と指を指され「コレはどう見ても緑じゃないか。百歩譲っても黄緑...」、「黄色でしょ!!」

これは、認知の個人差ではなく、どの色を黄色と命名するかの経験(学習)の違いによるかもしれないが、色以外のことでも、僕の人生には結構この手の口論は耐えなくて、しばしば「強情だ」「頑固だ」「神経質だ」「融通がきかない」などと罵られるのだが、しょうがないだろう。色調は青と黒を示していないし、僕には白金(もしくは湯呑みなら緑から黄緑)にしか見えないし、色調としても薄紫と黄土色なのだから。
しかし「どちらにも見える」という人が結構いるので、そういう「認知機構の柔軟性」みたいなものがあるのだろうなぁと思うし、主観的な色というのは客観的に定義されえないものなのだから、そう見えることを否定するつもりもなく、ただ、やはり僕は認知のシモのレベルから「強情」で「頑固」で「神経質」で「融通がきかない」のかもしれないなと、色々諦めみたいなものがついた気もするし、話し合いとかの以前のレベルでの断絶があることを受け入れて、やはりひっそり生きていった方が良いのかもしれないな、と、自分について思うのである。


自分についての戯言はともかく、世界をどのように認識しているか、というのは非常に重要な問題で、実は我々SYNAPSEでも何度か取り上げて来た。
SYNAPSE Vol.2 のテーマは「光」で、「ニュートンゲーテの色彩論」およびその神経科学的解釈を飯島さんが、動物やヒトにおける色覚の違いの生物学的解釈を僕が書いた。

*中央見開きに見える図の、上段が色弱の人とそうでない人の色の見え方の違い。下段が人間が見てる世界(普通の写真)と紫外線撮影(昆虫とかには「こう見える?」的な写真)。昆虫が見ているであろう世界の撮影については福岡教育大学の福原達人先生のHPに詳しい。SYNAPSE vol.2でも福原先生から写真をご提供頂きました。

もう残部がないし、web公開もしてないので、残念である。アートディレクションを担当してくれたNOSIGNERさんが、コチラで少し内容に言及してくれいる。

神経科学的背景は、こちらのブログに
「色は眼ではなく脳が見ている?」- スウィングしなけりゃ脳がない!
10年も前からこういうことを書いてらして、偉いなぁ。


とあるイベントに参加した際に共感覚の写真家さんと話したのも、他人とジブンの認識世界の差異を考える上で、非常に大事な経験だった。
誰かの視点を想うこと
共感覚関連本のレビュー


色弱の人なんて、特に男性だととても沢山いて(たぶん全国の「鈴木さん」と同じくらい)、社会的に考慮すべき課題。実際、色んな機械の電源が「充電中→完了」に変わったかどうか色では弁別出来なかったり、地下鉄の路線図の色分けが分からなかったりという問題があって、それらは結構改善された。そのへんは、伊藤啓先生のHPに詳しい。
色覚バリアフリー
SYNAPSE vol.2でも写真を使わせてもらいました。


色のシミュレータというアプリがあって、コレを使うとモノが色弱の人にどう見えるかを画像化してくれる。プレゼン資料をつくっているときなど、僕もよく使う。


Photoshopにも、色弱の人にどのように見えるかをチェックする機能が、実は付いている。色覚バリアフリー・カラーユニバーサルデザインは是非広まって欲しい。10年くらい前に、プレゼン用のポインターに緑が登場したのも、そういう経緯なはず。



科学的な考え方というのは、無味乾燥としていて冷たいものと、とらえられることもあるけれど、科学的であるために必要なものとして客観性があり、客観的に考えるということは、自分以外の何ものかの視点から考えるということなので、感情的なエモい共感とかよりも、案外(いや、絶対)「他者」に対して優しい。共感はともすれば自分と似たものにばかりしてしまうので。
その辺は、この辺を読んでもらいたい。結構現代に必要な考え方だと想う。

科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)

科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)




だいぶ話がそれたが、やはり、青黒に感じられない自分が気持ち悪い。一番最初に紹介した記事で、このドレスがAmazonに載っているとのことだったので、見てみた。


見える!見えるぞ!!!青黒に!!!!(良かった)

確かに、ドレスの色は青黒らしい。だとしたら、認知的な問題の他に、もう一つの謎が立ち上る。この、明らかに(めっちゃ濃い)青と黒が、なぜ、画像解析からしてもかけ離れた白と金になったのだろうか???
これはこれで、信号処理の問題として、なかなか面白いように思う。直感的に、めっちゃつよい白熱灯の近くだと、黒も黄色みがかって黄土色っぽくなるだろうか。周辺環境と、スマホカメラのある種の質の低さによって可能になった写真では無いだろうか。かなり、特殊な撮影で、普通の状況ではありえなそうにも、未だに思えてしまうのだが。

「ありえなそうなことだけど、ありえること」として、飯島さんからペンローズの三角形について、昨夜教えてもらった。



ともかく、だ。
今後、神経科学・認知科学の授業や講演でこの写真を題材に多くの先生達が色覚についての話しをするだろうし、今回のことで自分と他者の違い、とくに言語で語り合う以前の知覚・認識世界の違いについて、人々が語り合ったのは良いことだと思う。SNSによってそのための題材がつくられたのも面白い。この思考を拡大解釈していくと、少し世界の平和に近付くと思う(とても希望的アレだが)。



さて、個人的に最後に残された問題は「なぜ僕には白金にしか見えないのか」だ。この個人差はどこからくるのだろうか。強情なまでのロジカルさが、認知までも変えてしまっているのか。どうなのかしら。
Photoshopのポスタリゼイションの機能を使って、しかも諧調を「2」にして、色調をexaggerateな感じにしてみた。



確かに、画像の情報としては、黒も青も、白も金も、水色も紫も黄土色も、なにがしかの連続したグラデーションとして含まれているようだ。思ったほど、断絶は無いのかもしれない。もしくは、断絶の壁は越えられるのかもしれない。



ところで、勝手に言及してごめんなさい、ですが、SNSで知人が件のドレスについて「絶対買わないからどっちでも良い」と言ってたのが、なんだか救われるなぁ。