進化神経行動学

夏に岩波書店の方から頂いた、科学六月号を、最近読んでいる。
特集は「進化神経行動学」。

昔は、学部生にしてはこの手の話に詳しかった筈だが、
最近では全くアップデート出来ていなかった。恥ずかしい。

ヒトの疾患モデルとしての培養細胞、マウスに関する論文を
読んでばかりいたからかもしれないが。

本特集の冒頭、ロナルド・R・ホイ氏のエッセイによると、
進化集団遺伝学者のテオドシウス・ドブジャンスキーは
「進化的な見方を排した生物学は生物学ではない」と
過去に言い切っているらしい。

それは、私も同意している。

生物学の「なぜ?」に答えるには、
大きくは二つの答え方が有る(厳密には4つらしい)。

至近要因的な答え方と、究極要因的な答え方だ。

前者は主にメカニズムの説明をし、後者は適応的な答え方をする。
(なので、厳密には前者は「Why」に答えるというより「How」だ)

例えば、なぜ色が存在するのか、という問いに対してはこうだ。

ある波長に反応する視細胞が眼に何種類か有り、その細胞から
脳の視覚野に神経が伸びて、情報が処理されるから。
コレが至近要因。

もうひとつは、色を識別出来た方が、
果物などの状態を判別するのに都合がいいため、
採取をする生物に取っては進化的に有利・適応的だったから、
という答え方。究極要因。


まだまだ素朴だった高校生・学部生の頃の私には、
この二つが揃っていた方が腑に落ちるし、今もそうだ。


私が信頼するある研究者が、現在の科研費のあり方等を話しながら
研究会の飲みの席でこういった。
「疾患から学ぶこともある。でもそれだけでは生物は理解出来ない」



生物医学の発展のためには、
つかいやすく、ゲノム情報が揃っているモデル生物やヒトを
主たる対象として研究することは理にかなっているし、
否定はしない。

しかし、生物とは何か、生命とは何か、
生物に行動を起こさせている「心」や「意識」、
「情動」のようなものは何なのか。

これらに答えるためには、ドブジャンスキーの言う
「生物学」がなくてはならいない気がする。

我々ヒトが認識している世界など、この世界の一部に過ぎない。
それは、比較生物学的な知覚の研究を見れば明らかだ。


以下、twitterでの私のつぶやきから。


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ものすごい、不勉強だった。分子のことはそこそこ詳しくなったのかもしれないが、それだけで理解出来るものの幅等狭い。応用可能性は高いが、個体レベルでの専門性にはほど遠い。

昔の方が、知識の得方の質が高かったように感じる。学部生の頃。最近はモデルとしてのマウスや疾患に特化し過ぎ。

動物は、人間からしたら恐ろしい感覚、知覚をする。それでもってコミュニケーションもする。世界とは何なのかを、あらためて考えさせられる。つまり、我々の人間の脳で構成されてる「世界」など、この世界のほんの一部に過ぎないだろう。

比較生物学、進化生物学の観点を持つと、動物ごとの世界の取り入れ方の違いに注目することになる。神経系が可能にしている「認識世界」や「意識世界」が同じ物理空間に存在していても我々と違うことになる。これは、意識や心とは何かという本質的な問いに繋がる気がしている。生きることとは?にも。

同様の意味で、池上先生の様な複雑系を用いた理論的研究にも、最近実は比較生物学的な意味合いを、僕の中では勝手に感じている。

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SYNAPSE Vol. 2の編集を始めた関係で、
光とは何なのか、から動物の視覚世界を調べているので、
こんなつぶやき。


脳の分野もサルやヒトの心理実験の話はやはり主流で、
とても興味深い。


普段、分子の実験をしていて、学部生の頃のような
個体レベル、行動レベルの実験から離れている私にとって、


サルやヒトの研究をしている人達の議論はとてもエキサイティングだ。
今の自分が惨めになるくらい。うらやましい。


しかし、いまさらモデル動物を離れる気も、そんなにない
というのが、私の現状。

分子のツールを得た私に、何が出来るか。

そのヒントも、進化神経行動学の論考にある気がしている。


神経科学、脳科学分野には、医者もいれば心理学者もいる。
近年では、経済学者もいる。

そんななかで、やはり私の立ち位置は
「生物学」だと、最近強く感じている。

進化神経行動学の視点をもちつつ、
モデル生物で研究する。比較対象には、ヒトもはいる。


もやもやっとした感じで、最後の方は
ロジックが整っていないが、明日は朝からゼミなのでこの辺で。


やはり最近興味深いのは、
コミュニケーションにおいても嗅覚系、フェロモンの
影響が大きいマウスにおいても超音波域での
音声コミュニケーションやLove songを使っているということが
わかり(解ったのはかなり前)、近年は研究の環境が整っているということ。

モデル動物としてのマウスは、生物学の対象としても、
まだまだ侮れない存在かもしれない。