善と悪、敵、味方

僕らは僕らで、正しいこと言ってると思うんだけど、お相手は困っちゃうんだろうなぁ。単純な正義と悪の対立軸の方が、むしろこの世には珍しいのよ。



コレは僕の個人的な問題なんだけど、この人が悪というわけでもないんだよなぁ、とか、アホだけどもうおじいちゃんだからしょうがないんだよなぁとか、結局みんなで生きていかないといけないんだよなぁとか思って、、


矛先となる「敵」を見失ったり、攻撃することをやめると、その分結局矛先は自分に向けるしかないから、やる気とか気力とか、失って、何も出来なくなっちゃうのよね。意思決定も出来ない。


だから、時折、あえて争いを恐れないときもある。僕が一人で黙って、剣ををおさめたところで、何も伝わらない、何も変わらないでは、何も解決していないから。


争わない道を模索もするんだけど、かなりの大人が相手だと、その人達は「私達はこれまでずっとこうやってきたんだ」という何の根拠にもならないものを後生大事に抱え出すので、それに反論することは彼らの人生の否定を伴うから、結局争いになってしまいかねない。 結局、人間は皆、感情を持っている。



だから、僕は、脳の研究でも、記憶とか知覚とかあるけど、
どちらかという感情に関わる研究をしているのかもね。