ミニサイエンスアゴラ@東京

今日はミニサイエンスアゴラ@東京に行ってきた。

サイエンスアゴラとは次で五回目を迎えるサイエンスコミュニケーションの年に一回のお祭り。
ミニサイエンスアゴラは、サイエンスアゴラが五回目を迎えるにあたって、これまでの反省や今後の展望を語り合おうという自由討論会。一足先に大阪でも行われました。


国立科学博物館の課長さんや、浦和の高校の先生、毎日新聞の元村さんが話題提供をくださいました。


僕も発言をしてきた。
元村さんに「挑発的」と評される(多分本人は面白がっていた?)ほど、結構本音をぶつけてきたけど、少しは会場の活性化に繋がっただろうか。


僕が言ったのはサイエンスアゴラの方向性について。
今のままでは、中途半端ではないかと。

サイエンスアゴラとは


・サイエンスコミュニケーションをやってる人間が集まって、
年に一度話し合いや交流をする場なのか。

それとも、

・普段科学に触れていない人を引き込むための場なのか。


前者だとすれば、もっと費用も少なく、くだけた学会のようにやったって良い。
そこに文部科学大臣とかを呼んで議論をしたらいいと思う。


後者だとすれば、宣伝の仕方、企画の仕方を変えないといけない。
科学以外の文脈で、普通に生活しててアゴラの情報に出会ったことはないし、
アゴラの企画自体、科学好きのための企画のようにしか思えない。
「これは面白そう!」とメディアが取り上げたことはあるのだろうか、
科学記事以外で。



明言はしていなかったけど、JSTさんはの説明は、両方の要素を残しておきたい、というように聞こえた。
あとは、科学者内のサイエンスコミュニケーションも必要という声も割とあったように思う。

それはそうなのだが、人に対して「見せる」、「魅せる」ことを考えると、
内輪の話であるものが会場に漂っているのようなイベントが楽しいだろうか?
方向性がはっきりしないイベントにどんな関心層が引っかかってくるのだろうか?


「言ってることは分かるけど、面白いとは思わない」と言われてしまうように思う。
ある程度完成されたモノを見せないと、他に面白いものがいくらでもある現代では、
いくら理念が素晴らしくても、見向きもしてもらえず、何も達成できない。


理念を具現化するためにも、まずはてい関心層に振り向いてもらい、
理念を反映した内容を見せなければならないと思う。



例えば、コンサートやライブの様に「お金を払ってでも見たい!」と
思ってもらえるクオリティのモノを世に送り出していかなければいけないと思う。




みんな立場が違うんだなーと思いつつ、それぞれ言うことに一理あると思いつつ、
最終的にたどり着くのは、サイエンスコミュニケーションはコミュニケーションの一つであるにも関わらず、
コミュニケーション論やコミュニケーションデザインという手段の部分を軽視してきたのではないか、ということである。



現代の情報の流れ、メディアとのつきあい方、いいものを売る方法、
商談を成立させるテクニック、webデザイン。

あらゆる手を駆使して、科学に振り向いてもらい、踏み込んでもらう。
もしくは、科学が社会に混ぜてもらうことをしなければならないと思う。


検索でいろんなことが調べられる現代では、
逆に検索欄にワードを打ち込まなければ、それ以外のことは排除されるのだ。

様々な人の関心事に、文脈に食い込んでいく努力をしなければ、
人の眼に留まることはない。

人の眼に留まらなければ、伝える機会すらもらえない。
ただ「科学は大事だ!」と叫んでも、独りよがりだし、何も生まない。



たとえ質は悪くても、情報のフローに乗ったものが世に広まっていくのだから。