サイエンスコミュニケーション研究会に初参加して

第五回サイエンスコミュニケーション研究会

に初参加してきました。

今回のゲストは、東北大・脳GCOEの長神風二氏。

はい、いつも面倒見てもらってる、兄さんですw



ああいう勉強会や議論の場自体があることは、いいことだと思います。

ただ、この勉強会の目的が、この研究会の学会化であること、
サイエンスコミュニケーションの学会をつくることだという点には、
外から眺めていて若干の違和感がありました。


それは、昔書いた様に、
http://d.hatena.ne.jp/can-no/20100205/126538832

日本にはサイエンスコミュニケーションの「集会」的な役割を果たす、
サイエンスアゴラというものがあり、そこは、非専門家である人に、
科学を伝え、魅せる場なのか、サイエンスコミュニケーター達が、
議論するための学会的な場であるのか、
その立ち位置がいまいちつかめず、また、
見せる場としては、コンテンツ性に乏しく(量は多いが)、
意義があると思えるものは、なかば学会的な内容であるため、
あらたに学会を設立するならば、日本でのアゴラの位置づけは
どうなるのか、ということや、このままサイエンスコミュニケーションの
学会的なものが2つできて、意味が有るのか、という違和感です。

そもそも、科学技術社会論学会というものが既に存在し、
そこでは、科学と社会の関係性について、その問題点や、
何を解決すべきか、何を非専門家に伝えるべきかという議論は、
されており、サイエンスコミュニケーションはその思想を実現するための
活動であると、僕は認識しています。

つまり、実践です。

(その点は、今日の長神兄さんのサイエンスコミュニケーションの定義にも、一致すると思います。)


また、その活動の評価や効果測定、活動体系の善し悪しは、
これまでも、科学者とメディアの関係を扱ってきた
科学技術社会論の枠組みの中でも出来るのではないかと思っています。

となると、アゴラは魅せる場としての機能を強化すべきと
個人的には思っています。もちろん、非専門家との学会的テーマの
対話の場という位置づけはありでしょう。

しかし、現実は、サイエンスコミュニケーターのオフ会にしか
おもえませんし、その他のイベントの質や意図が、
世間一般の感覚とズレているようにしか思えない。
なんというか、センスでしょうか。

この辺は、大学や学術系のポスターや出版物のデザイン
あきらかに、ださすぎるにも関わらず、社会のその他の分野で
当然行われているものを、どうも学者は嫌い、
いかにもお役所的で保守的なデザインや語り口を好む、
センスのずれなども、大きく関係しているような気がしている。


そのへんとか、そのたサイエンスコミュニケーションに関して
つらつらと私見を書いた過去の日記があります。
http://d.hatena.ne.jp/can-no/20100530/1275240891
http://d.hatena.ne.jp/can-no/20100419/1271689021


今日は、このへんのセンスの話はというよりは、
そもそもなぜ科学を伝えるのか、という点について、
僕とはズレがあるだろうということを、なんとなく
確認した。


その場では、(この僕としては恐ろしく珍しいことに)意見も質問も
しなかったのだが、後述する理由に加え、
その場で議論することをめんどくさく思ってしまったのだ。

しかし、それは、かつてブログで自分で書いた姿勢にも反するし、
コミュニケーションはそれを経ることで変化が起きるという
長神さんの考えに賛同する以上、何か言っとかなくてはなるまい、
ということで、ハッシュタグ付きで、帰宅後私見を述べた。

あと、内田麻理香さんも、ハッシュタグ付きで
意見を述べていたので、かつて、飲みながら
「批判を受け止める覚悟で、実名で、
自ら前に出て、述べなければならない!」
と、語り合ったので、そりゃ、僕も、いっとかにゃ、と。


あと、実は、大学院生でサイエンスコミュニケーションをやってる人で、
なぜそれをするのか?に、答えられない人も結構いるらしいと言う話を、
後輩から聞いたので、そこは、考えてから活動しようよw ということで
彼らにも向けて、書いてみる。

書いてみる、というか、恐れ多いことに、内田さんに
「どこかにまとめて」と言って頂いたので、
twitterでの発言を、ひとまずコピペしておくこととします。


長神さんの発表を聞いていない方には、
多少意味不明かもしれませんが。

発表内容については、兄さんのブログに何かフォローアップされるやも。
http://www2.atword.jp/science/



以下、twitterのコピペ

                                            • -

や、やべぇ、姉さん、タグ付きどぁ。


サイエンスコミュニケーションのコミュニケーションが、科学と社会双方のメタモルフォーゼだとするならば・・・タグを付けるしか有るまい


今日のサイエンスコミュニケーション研究会は、思ったより参加者のバックグラウンドがまちまちであったのと、長神さんとはいつもしゃべってるからここで意見交換しなくても良かろうと思って、発言しなかったのだが、明日 @r_shineha さんも喋るということで、少し考えよう #scstdy


長神さんは分かってるだろうと言うことで言わなかったし、横山先生のパブリックが果たして機能しているかと科学情報オープンにした際の責任をコミュニケーターがどこまで追うのかという指摘は、STS論や社会学的には鋭いと思うのだが、学部3年生の人が質問していたように #scstdy


問題は、そこにオーディエンスがいるのか?という問題だろう。かねてから僕は主張しているが、現在のサイエンスコミュニケーションの問題は、入り口の戦略での失敗なのだ。情報をオープンにしたところで、それを見たいと思う人がどれほどいるのかと。 #scstdy


情報をオープンにすること自体には、もちろん賛成。だが、それは、サイエンスコミュニケーションのメディア化がパッケージで存在しないと、意義が見出されないだろう。 #scstdy


ココまでで既に疲れた



これは、長神さんがクライアントを意識する重要性を指摘していたことにも繋がるが、結局のところ現在のような科学オタクの集まりのようなサイエンスカフェの乱立では意味は無く、低関心層も含めた層に、どれくらいクライアント獲得が出来るかが問題だ。 #scstdy


クライアントとは、実は潜在的には科学に興味を持ちうるが接する機会が少ない、もしくは個人で密かに愛好していた人。さらに、科学がキライか無関心な人。そこに情報が流れていく新たな流れを作らなくては行けない。それは、学術内部に閉じた流れ出は、届きようがない #scstdy


この点を打破するためには、サイエンスコミュニケーションはメディアへの影響力を持つか、小さなメディアが玉石混淆するであろうこれからの時代に、独自メディアを創出するかのいずれかをしなければ、存在意義は無いと考える #scstdy


さすがに自分で自分がキモくなってきたな


そもそも、教科書でとりあげられるサイエンスコミュニケーションの課題も、そのほとんどがメディアとの関係であるわけだ。メディアから流れる科学情報の質の悪さと言っても良い。もしくは偏り。 #scstdy


おそらくこの質の偏りは、資本主義的な否応無い流れや、Ph. D は社会にいらないとか、だから一般企業の理系率低いとか、将来の夢に科学者を挙げるこどもが米より圧倒的に少ないとか、上司に逆らえない雰囲気とか、要するに、チョイスがしづらいこの社会の構造によるもの #scstdy


結果、就職に不利なものは選ばないので、企業やメディアに科学に親しみが無い人も増える。それが情報の偏りにつながる。こんな構造がなければ、サイエンスコミュニケーションに政治的意図を持ち込まずに好きだからやってるといっても良いのだが、 #scstdy


個人の選択がしづらい社会構造の結果の一つとして、科学と社会の間の問題が有るとするならば、この構造は、科学以外の分野にも当てはまる筈である。つまり、コミュニケーションが必要な分野は科学だけではない。科学が特別ではないのさ。 #scstdy


コミュニケーションの必要性を接点に、様々な異分野と対話を重ね、互いに変化が生じるときに本当の理解が生まれるだろう。でなければ、我田引水な陣地取り競争としてロビー活動のためのコミュニケーションになってしまう。 #scstdy


その点では、科学だけを伝えることには、躊躇を感じる。別に、他にも大事なこと有るし。科学だけ栄えても、割を食う分野も有るかもしれないし。むしろ科学が伝わることで、他の分野もハッピーになる構造を作ることに、僕の興味はある #scstdy



僕にとっては、その一つのあり方が、新卒一括採用みたいな馬鹿げた慣習を大学人の立場から打破することなんだが。そうでもしないと、科学伝えて科学者になることに夢を持っちまった子供に対しても、無責任だと思うのよね。 #scstdy


だから、僕は、サイエンスコミュニケーションは人々の志や価値観に受け入れられるカタチでメディア化し、社会変革のいったんを担わなければ意味が無いと思っている。その意味で、学術のコンテンツ化、編集、もしくはカリスマ的伝え手の登場は不可欠だ。 #scstdy


ちなみに、長神氏は、自分を姜尚中路線だと思っていることに、一応触れておきたい。 #scstdy


その意味では、ちょっと一緒にした仲だし、彼の活動は僕は意味が有るものだと思っているので、信頼を持って敢えて問いたいのだが、今日の高梨さんのサイエンスコミュニケーションを「好きだからやってる、それが幸福に繋がる」というのは、理解に苦しんだ。 #scstdy


僕はそもそも、サイエンスコミュニケーションを学会化するって、STS学会とどう違うのか分からないし、半ばアゴラも学会化したようなとこだし、いったいこの業界の機能分担はどうなってるんだ?って疑問もあるんだが、「好きだからやる」のであれば、学会化の意義があるのか?と #scstdy


好きだからやるのであれば、コミケみたいなもんでいいし、別に振興調整費とか、いらなかったじゃんとか、研究機関とかがサイエンスコミュニケーションを標榜して、組織をつくってやる意義を全く感じません。 #scstdy


ただ、好きでやってる人の眼は輝いてるし、その面白さの語り手としては超適役であることは間違いないので、そういう人の活動すら、コンテンツ化したいと思うのです。 #scstdy

色々と社会政治的な意味は考えなければいけないものの、確かに裏付けされた知識によってコンテンツ化された科学や学術の情報が圧倒的な支持でもってムーブメントを起こせれば、さまざまな議論を吹っ飛ばして、純粋に科学を語ることがかなうのではないかと思うのです #scstdy


今日の話には出てこなかったので、むしろその話をした方が伝わるのでは、とも思ったのですが、長神尚中兄さんは、そんなイベントをこれまでも企画しています。ゼキx宮島達夫とか。 #scstdy


そして、そのコンテンツが、他の分野のエンタメと肩を並べても遜色の無いものであるとするならば、そこにはお金も付く筈。稼ぐことを躊躇してはいけない。色んな意味で生きていくためにも。また、お金を稼ぐ能力は、ある程度税金の使い道の説明責任論もスルーできる状況を生む #scstdy


個人的には芸術や文化、文学、映画、などと同じように語られる存在に科学がなれれば良いと思っている。 んで、伝えるとこまでが研究という姿勢を持つ学者が増えてくれればと思う。特に大学の学者なら。学者には教育と、研究から得られた知識を体系化することまでが含まれるのだから #scstdy


体系化とは、おそらく、歴史的背景、他の分野との関係性までを含めた壮大な俯瞰図をつくることであろう。そこまでが学者の仕事。つまりそれは、世界のあり方を、なぞったり、描いてみることだ。この描き方こそが伝えるべき点でもあり、魅力あるコンテンツになるのではないだろうか #scstdy


最後に、勝手ながら @parsonii さんのツイート*に対する、異分野からの賛同をもって、やめます #scstdy


*「知の拡大・獲得を目指すのが科学研究の目標であるならば、
  研究者だけが知っているという状態では不十分で、研究者ではない人までそ
  の成果が浸透してこそ所期の目標が達成されると私は思ってます。なので、
  成果広報は本質的に科学研究の一部。税金投入に対する説明責任とはちょっ
  と違うと感じてます。」

  ( @parsonii さんのこの発言に、菅野は賛同します。)


#scstdy RT @Epiphanyworks @parsonii ご意見、嬉しく拝読しました!学問や芸術が、拡い意味で「我々とは?世界の成り立ちとは?」を探求するためのものなら、その成果である「叡智」を共有させて欲しいと単純に思います。


                                            • -


誤字脱字だらけだし、書くのがめんどくさくて、論理の緻密さに
欠けるところがあるので、いつか、清書したい。

ちなみに、高梨さんらとご一緒したイベントはEpiphanyworksさんの
企画で、菅野も端の方で手伝わせて頂いた。
http://d.hatena.ne.jp/can-no/20100125/1264405035



最後に、研究者個人が説明責任を果たすべきかどうかについてだが、
果たせるなら、果たせば良い。

しかし、年間3千万円以上の科研費を取得している学者にアウトリーチ
義務づけたり、科研費申請書類に非専門家でもわかるように
研究内容を(しかも500字くらいで!)書かせる義務を負わせようという、
動きがあるが、だれが読むのだろうか。

僕は、この説明責任のためのアウトリーチ活動は、
各大学の広報が担えば良いと思っている。
もちろん、イベントなどには、研究者も自ら出演すれば良い。

広報担当に、プロ、サイエンスコミュニケーターを置くなどして、
各研究者の研究内容を俯瞰し、アウトリーチの企画を、
効果的に、効率的に組む方が、研究者も大学も、
オーディエンスもハッピーなのではないだろうか。


僕は、ここにサイエンスコミュニケーターの必要性を
感じていて、大学の知をコンテンツ化することを、
大学の業務とし、大学運営費から捻出するべきであること
を主張する。



もうつかれたので、おしまい。