「自分の研究を分かりやすくって」って結構疑問


asahi.com
研究費1千万円→市民講座を年1回 研究者に義務化?案
http://www.asahi.com/science/update/0419/TKY201004190202.html

について。


なんていうか、社会との交わりを持とうとしない科学者にも個人的には閉口するのですが、1千万円以上の科研費を取得した研究者に個人的に市民講座やれっていうのも、なんかなぁ。

別に、僕は1千万の科研費もらってなくてもサイエンスコミュニケーションやるからいいんですが、1千万級の研究の内容って、かなり専門的で分かりやすく伝えるのって困難だと思う。


科学者でも異分野のことは相当よく教えてもらわないと無理。
それを市民にって・・・


最先端でなおかつ分かりやすくて、市民もしりたいと思うようなことって、
かなりデカイ研究になると思う。
治療に役立つとか、natureに載るようなものとか。

まず、一千万級の専門的な個別の科研費の研究内容のシンポジウムをやって
来たいとおもう人がどれだけいるのか。


それと、先端科学って専門的トレーニングを積んだんだからやれるのであって、
聞く側にも「学び」が求められるはず。
それを科学者に一方的に「わかりやすく」書けって言っても、かけるはずも無いし、専門知を持たなければ理解出来るはずも無い。
と、なると、市民シンポジウムや市民向け報告書には、「分かった気にさせる」文章や説明が増えていく気がする。

これは本来の意味での「学び」を失わせる行為にすらなる気がする。

僕は実は、各研究者や、実際に手を動かしている大学院生や研究員が自分の研究テーマを分かりやすく説明出来る必要は無い気がしている。
そもそもグレーゾーン過ぎて自分でも分からないことが多い。

研究者が市民に説明すべきは、自分が所属している学問分野全体の大きな話ではないかぁ。その方が聴いてる方も面白いだろうし。

個別の話は、科研費つける際には理解が必要だけど、それは審査する学者と官僚と政治家に説明すれば良いんじゃないかな。
彼らには義務があるから、「学び」が要求されて然るべきだし。
ていうか、事業仕分け見てると、プレゼン大会みたいで、色んな分野の重要性を仕分け人が勉強して調査して望んではいないようだったしね。
あれではプレゼンうまかった人に予算つけるだけで、国側にビジョン無しって言うのを自ら露呈したと僕は思ってるんだけど。


それと、科研費をとった個別の研究者が一人一人市民講座とかやっても波及効果薄いから、そういう研究者を抱えている研究機関、大学・学部がとりまとめて市民企画なりサイエンスコミュニケーション企画なりをすればいいんじゃないだろうか?
そうすれば、広報のための人材が必要になってサイエンスコミュニケーションの専門家のポストも出来るし、良い広報・コミュニケーションを研究機関ごとに比較したり、切磋琢磨できるし。大学と地域の繋がりとかも出来るだろうし。

科研費取った研究代表者には企画なり編纂なり、スピーカーなりをその年一緒にやってもうらうことにしてさ。

科学者一人一人にサイエンスコミュニケーションのノウハウを求めるのかなりきつい。だからこそ大学みたいなところに何人かコミュニケーターがいれば、それが科学と社会の架け橋になるっていう、話じゃないのか??
そもそもさ。