嘘をついたら終わりとなる


今日も、NHK 最後の楽園 Hot spots、良かったなぁ。ああいう、大きな流れの中での研究をしたいんだよなぁ。 進化的にというか。 生態という、ファクターの多い中から一本の流れをつかみ取る研究と言うか。 やっぱり、技術とは違うんだよな。目指すところが、科学は。

日本には、そういった、進化的、生態学的な動物行動がなぜ起きるのか、可能なのかを、麗しく解き明かしてきて神経行動学者達が沢山いたんだが、 やりづらい時代になってしまったのだな。 

正直、応用可能性も、科学か技術かも、1番かどうかも、Only 1かどうかも、全てがどうでもいいんだが。 説明責任も、社会との関係とか、科学者の責任とか。 そんなもの全てを圧倒する、大きな流れが、そこにあり、それを、掴んでみたい、だけなんだが。



正直なところ、やりたい研究以外は、やりたくはない。
そのためには、ボスとの関係も重要。

しかし、最近は、社会との関係も、厄介だ。
必要以上に、説明責任が必要になった。

アカデミックフリーダムは、いつの間にか、消えた。

それは、大学が単なる通過儀礼となったからか。

はっきり言えば、ここまで数十年の、
大学人と、非研究者である、社会の両方が悪い。

みんな、悪い。


科学者も、ただただ、自分が面白いと思うこと、
信じるところ、なぜ、科学に惚れたのか、それを、
ただ、語れば良かった。


戦後、学びの喜びを知っていた大人達は、
学びの楽しさ、世界をあり方をただただ眺めることの重要さを感じる「暇」を、
効率化の下とに、次世代から奪った。

そしていまだ、次世代に時代を譲らず、のさばっている。


自分たちが変えてしまった次の時代の流れに、
乗ることもできず、朽ちていくのだ。

しかし、その流れも、淀んでいる。


科学や技術と、社会を繋ぐ筈だった、
サイエンスコミュニケーションの業界からも、
教科書的な物言いしか聞こえてこない。

結局のところ、現場レベルの、
科学と技術の精神の違いは、あの業界には、
理解されていない。
研究のことも、分かっていない。

おそらく、このままいけば、
3.11を経て、彼らは政治的ポジションどりに終始することとなる。

科学側からも、社会・政治の側からも、必要とされなくなる。


科学は美しくなくなった。



次世代の旗手は、誰なのか。

残念ながら、今の僕は、
カスの様な前世代の産物的科学を、せざるを得ない、存在である。

時は、まだ来ない。